Constitution25の日記

頭があまりよくないです

捨ててきたもの

最近、友人の結婚式に行った。

 

高校時代の友人で、もう会うのは10年ぶりくらいになる人もいた。

コロナの中で、少人数開催となったが、実に良い式だった。

 

久しぶりに朝まで飲んで、久しぶりに腹を抱えて笑った。

楽しかったなぁというのが大きな感想なのだが、

僕はいろんなものを捨ててきたんだなということを実感した。

 

僕は高校時代、受験勉強が本格化し出した時から

仲の良かった友人と関わる時間を勉強に回した。

 

なぜそこまでその目標に熱中したのかはわからないが

自分の理想の姿になることが第一だと思い

そこに全精力を注いだ。

結果は出ず、人生の中でもそこそこ大きめな挫折となったが

努力したことはその後の人生で糧になったと思う。

 

二次会の最中に友人から「あの頃は俺らを蔑ろにしてたからなぁ〜」と

何気なく言われた言葉が刺さった。

 

最近グラグラとしていたから、そういう言葉は余計に刺さった。

確かにな、と。確かに蔑ろにしたよな。

俺は何が大事なのかよく見失うのかな?と。

というか、そもそも何が大事かなんて、その時はわかっていなかったし

考えたこともなかった。

 

友達は自分の周りにいて当然の存在だったし、

何か目標に向かって歩むことも当然のことだと思っていた。

 

最近コーチングを受けはじめた。

その時にパートナーから言われたのが

「仕事だけでなく、もう少し広く人生を考えてみよう」

というアドバイスだ。

 

今年は特に仕事しかしてこなかった。本当に仕事づけの日々を送ってきた。

ふと立ち止まると、あれこれで良かったのか?と疑問符がつくようになった。

 

グラグラしている。答えはまだ出ていない。

最近はなんだか仕事中以外は意識が朦朧としている。

映画や漫画が頭の中に入ってこない。そういう時期なのかもしれないが。

 

お酒もあまり飲まなくなった。ストレスも少し減った。

が、没頭して何かをすることもなくなり

よく言えば穏やかな毎日が、悪くいうと虚な日々が続いている。

 

そういうフェーズなんだろうか、わからない。

どこかで突破口が見えて欲しいな、と思う

最近

最近あまり人生が楽しくない。

トンネルの中に入っちゃったのかな?ワクワクすることが少なくなった。

 

思えば大変だったけど、独立初期は楽しかったのかもしれない。

明日死ぬかもしれない、とにかくやらなきゃと

初めてのことだらけの環境で必死に動きまくった。

独立後数ヶ月は文字通り1日も休まずに働いていた気がする。

 

とにかく動いた。死の恐怖と戦った。

その結果月収100万円みたいなものに到達したが

なんだかあまりその時は感動がなかった。

 

エンジニアになったのは2年前。

できないながらにコツコツ頑張ってフリーランスになった。

最初は給料が低かったが、独立してそこそこの暮らしができるくらいは取れるようになった。

最初の案件は55万。今は53万。

単価は上下するが精算幅が変わったりするので

時給換算すると3500円-4000円弱くらい。

正直もうだいぶ慣れた。最近はボケーっとしてたら1日が終わる。

日給3万円。学生時代に1週間働いて得ていたお金が1日で手に入るようになった。

 

2年くらい前からブログをしていて

初めて出た収益が52円だった。

脱落者が多い中で2年続けた。

アドセンスアフィリエイト→代理店と手を変え品を変えをしながら

自社事業を作るという絵図が見え始めた。

 

作れば自分で売る手間を省くことができる。利益率もあげられる。

そんな絵図が見え始めたが

なかなか本腰を入れて着手ができない。

 

独立して代理店をやり始めて月に最高40万円の収益が出た。

先ほどの月収100万円はこの時にそのくらいまでいった。

確か101万くらいまで行って最後ちょっと色々あって97万で着地した。

 

リーマンで言う年収1000万は手取り700万くらい。つまり月58万くらい。

独立すると節税効果が効くので

リーマン額面に比べ個人事業の方が使える額が多い。

多分今の生活がほとんど年収1000万リーマンで取る暮らしと変わらんのだなぁと。

 

少ないなぁと感じる。年収400万で子育てをしている人は

どんだけ縛りプレイが好きなんだろうと尊敬する。すごい。

 

もっとお金が欲しいのだが、なかなかやる気が出ない。

エンジニアはとりあえず続けている。

今回の案件から長期になり、とりあえず今は年末まで契約がある。

基本3ヶ月更新。精算幅も少なくなり下限が140hになったので月に

18日ほど働けば良い。

そして今の現場は定時が17:30なのでだいぶと早く家に帰れる。

家に帰って副業をする時間は余裕で捻出できるのだが

如何せんやる気が出ない。

 

一度夏前に仕事でやらかしてメンタルが不調になった。

2ヶ月くらい仕事しておらず久々復帰だったので

しばらくは頭の調子が戻らないかなと様子を見てきた。

復帰から1ヶ月が経ち、頭の調子はだいぶ戻ってきた。

 

戻ってきたがやる気が出ない。自分を奮い立たせても熱がすぐ醒める。

そういえば最近セックスもしていない。2ヶ月くらいしていない。

独立当初、毎週のように飛田新地へ行っていたのが嘘のようだ。

 

停滞期なんだろうか。刺激がない。

 

ロールモデルはもう、見つからない

資本主義社会に生きるときはロールモデルがすぐに見つかった。

 

こんなパフォーマンスを発揮できて、

どこそこの業界に所属していて、

年収はどのくらいあって、

そこそこ時間にもお金にも余裕がある生活を送って、

こういう価値観や信念を持って、

 

など「あ、こうなりたいな!」と思える人がすぐに見つかっていた。

 

文化面になるとなかなか見つからなくなってきた。

 

もちろんインプット不足という側面もあるんだろうけど、

そういった雑にロールモデルを探して、

ガーっとブルドーザーみたいに進んでいくフェーズが

終わりに近づいているのかもしれないなと感じる。

 

こういう部分はいいな参考にしよう、みたいな形で

細かく作っていく必要があるのかもしれないなと思ったりした。

 

よっぽど手間がかかるし、先の見えない戦いをしているような気がする。

 

「趣味なんだから、気が向いた時に自由にしたらいいじゃん」

 

という言葉がどうしてもしっくりこないのは僕の気質上の問題かもしれない。

 

仕事と趣味で場合わけするのがやっぱりわからない。

意識高いとか意識低いみたいな話ではなく、

やるからには前に進んでいきたい、という意識がずっとある。

 

資本主義はわかりやすかった。

収入、ポスト、人間性、など

定量的・定性的な部分で、ある程度評価される軸は固まっているので

そこ目指せばよかった。簡単である。

 

文化面。前に進むとはどういうことなんだろうか?

しっくりくる指標をまだ自分の中で作れていない。

この辺りを仮決めでいいから、今なんとなくでいいから立ててみて

前に進むのが良いかもしれない。

 

そんながんじがらめに、心の赴くままにすればいいのかもしれないが

如何せん、自分の性質上、何か1つに集中しすぎると

日常生活がままならなくなってしまう。

 

これはやはり避けたいし、ただ波に飲まれるだけだと

結局自分の中に残るものが少ない。

この辺りの塩梅が難しいなと感じている。

 

もっと生きやすい生き方もあるんだろうけど、

こういう生き方しかできないから仕方ない。センスがないけど仕方ない。

 

それが僕の人生だ。

ぱあ

あまり頭が良くない前提で

自分の興味のあるものに触れる時間を増やそうと思って、その時間を増やしにかかるのだが、処理能力の限界を超えて日常生活がままならなくなる。のは良くあることだと思う。

 

昨日、行ったタスクは、友人からきていた結婚式の招待状の返信を書くことぐらいだったと思う。

 

どれだけ興味があっても、飲み込まれるまでやっちゃうのは、日常生活に結構影響を及ぼすんだなぁと100回くらい感じているはずだがまたやってしまう。なんなんだろう

 

僕は鎌倉が神奈川県にあるのか東京都にあるのか千葉県にあるのか最近まで知らなかったんですが、一昨日くらいに神奈川県にあることがわかったので、まぁそのくらいの知能レベルなので、気楽に生きていけば良いと思いました。

 

おわり

ぱあ

 

次はどんな社会が正しいのか

次はどんな社会が正しいのか、と考える機会が増えた。

思考の整理として、思っていることを箇条書きで書き出していこうと思う。

 

小田急線の刺傷事件。無敵の人の暴走。あくまで自分の人生の延長線上としても考えられる。多くの日本人のパラレルワールド対馬容疑者の人生である。

 

・人種差別が撤廃された後の能力主義社会で怒っている差別について。人種差別は直感的に理解できるが、能力差別は直感的に理解ができない。努力できるのも継続できるのもそれは運なのだ、遺伝で決まっているのだとサンデル先生は言っているが、そういう節もあるだろうけど本当にそうなのか、ちょっと眉唾なところがある。

 

能力主義社会となったことで基本的に全員にチャンスが与えられるようになったが、格差は広がっていくばかり。次の社会の理想型はどんなものなんだろうかと考えるが、こと日本に限った話で言うと、無能な人にも優しい社会だと思う。道路はきちんと整備されているし、水も綺麗。社会福祉もかなり整っている(生活保護はあるし、医療費もたった3割負担で良い)。結構理想系に近い社会じゃないのかなと現状は思う。

 

・表面的な権利主張を行うとおかしなことになる。例えば女性専用車両。地下鉄御堂筋事件が契機となり、全国的に女性専用車両の導入がなされたが「女性専用があるのなら、男性専用も用意しろ!」と言うのは変な主張。そもそも肉体的な力の差があり、痛ましい事件があったからこそ用意されたので、その経緯や意図を無視して表面的な平等を訴えるのはお門違いな気がする。平等や公平の定義をきちんと理解する必要があるのかもしれない。

 

・資本主義により、毒されたor元々人間の中にあってより強化されてしまった価値基準はどんなものがあるだろう。ある程度限定はされるとは思うが、「強化されてしまった」という認識を持つことが大事。資本主義社会の中にある価値基準だけで哲学を形成してしまうと、なんだか歪なものになりそうな気がする。ブルーピリオドは個々の哲学形成を助ける補助書のような役割を果たしている。

 

・「お金はめちゃくちゃ大事な、ただの紙切れ」僕の造語だが、お金に対しては今はこの価値観である。

 

ざっと書いてみたが、いまいち自分が何を次に何を知りたかったり、何を考えたいのか掴めないので、しばらくのんびり生きてみることにします。こういう時は仕事をするに限る。

 

ぱあ

シュレディンガーの女

蓋を開けてみないと、その女性の立ち位置が判明しないという問題が、人生には存在する。

 

僕は去年の12月に独立をして、自営業者となった。9月末に会社を退職し、ゆるゆると開業準備を進めていた。

独立に伴って居住地を移すことになったので、12月には引っ越す前の地で友人・先輩とよくお酒を飲みに行っていた。

 

様々な飲み会をこなしていく中で、ひょんなことからセフレになった巨乳の先輩と飲みに行く機会があった。

 

酒の席では世間話もそこそこに、自然とラブホへしけこみ、セックスをした。

しばらくはその先輩に会えないことがわかっていたので、その夜はかなり燃えたし、記憶に残る一日になった。

 

長年住んでいた土地を離れ、年末から新天地に移り、年明けから本格的に仕事が始まった。

初めて独立して仕事をするということで、緊張と不安でいっぱいで日々生き延びていくのがやっとみたいな生活を送っていた。

 

そんな慌ただしい生活を続けていて1ヶ月が経った。

僕は誕生日を迎えた。

知り合いからLINEやFacebookでお祝いのメッセージが五月雨に届く。

 

そんな中に先月セックスした巨乳の先輩からもお昼頃にメッセージがあった。

「お祝いメッセだろうな」とカフェで昼休憩をとっているときに無防備に開くと

 

「生理が来ません」

 

背筋が凍った。頭が真っ白になった。

その日予定されていたお昼以降のタスクは3割ほどしか消化できなかった。

 

終業後自宅へ帰り、その先輩と電話した。

とりあえず現状を知りたかった。

病院へは行ったのか、妊娠検査は行ったのか、彼氏の有無は、などまずは状況把握し対策を考えようとした。

 

だけど、なんだか話している内にこれまでの人生で経験したことがないような変な感情に襲われ、プロポーズをした。いや、してしまった、という表現の方が正しいと思う。

 

「もし子供が生まれたら、結婚しよう」

 

プロポーズの結果はOKだった。

今冷静になって考えると、これ以上ないほど不誠実なプロポーズだし、自分の人生初のプロポーズ内容がこれって結構情けないなと惨めな気持ちになる。

 

そこから実際に子供が生まれるのか、ただの生理不順であるかが判明するまで2週間ほどの時間を要した。

 

結論から言うと、後者であった。

 

プロポーズの言葉には続きがあった。

 

「もし子供が生まれたら、結婚しよう。生まれなかったら、セフレのままでいよう」

 

子どもがいわば箱の蓋である。

箱の中には"奥さん"と"セフレ"という2つの可能性が共存している。

まさにシュレディンガーの女だ。

 

相反する状態である"奥さん"と"セフレ"。

生と死のどちらもの可能性が共存することをシュレディンガーは指摘したが、世の中にはこんな共存もありうるのだ。

 

今でもその先輩とはたまに会って楽しくセックスをしている。

 

 

 

 

 

 

 

初投稿

はてブを始めてみた。

 

何を書こうかな。

興味のあることをつらつら書いていく、もしくは感情の吐き出しなど。

 

頭が悪いので誤字脱字誤った考えなど色々ありそうですがご容赦ください。

ぱあ